働くことは苦手だが、転職活動を始めることにした
このブログに来てくださり、ありがとうございます。
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私は働くことが苦手だ。
でも、お金を稼がないと生活できないから働かなくてはいけない。
それに、働いていないと、社会から取り残された気分になる。
だから、いろいろ我慢して働く。
学校を卒業し、学生の身分を終えてから、私にとって「働くこと」は大きな課題であり続けた。
そこまで働くことに拘らなくてもいい、という考え方もあるけれど、私にとって働くことは意味のあることだ。
その意味には「社会から必要とされたい」という切実な願望が含まれている。
問題は私の特徴だ。
私は仕事上で人間関係を築くことがすごく苦手だ。仕事をしている間、周りの人からどう思われているのかが気になりすぎて、疲れてしまう。
自分の行動や発言がとても低く評価されているのではないかと心配になって、一人で惨めな気持ちになってしまう。
だから、ヘトヘトになって辞めてしまう。
2年ほど前に体も心もメタメタになり、カウンセラーさんにお世話になることになった。そして、ど自分が普通の人とはちょっと違うということを認めざるを得なくなった。
この間、クリニックでADHDとASD(自閉スペクトラム症)の簡易検査を受けた。どちらも判定基準より低かったけど。どちらも高い数値が出た。特にASDは判定基準まで本当にギリギリだった。
そして、カウンセラーさんのご指摘通り解離性障害の診断が出た。
私が「働くのが苦手」という理由はこれなのか、と腑に落ちた。
2年前に心身の調子を崩した後、在宅の仕事の数を増やして、なんとかお金を頂いてきた。
しかし、ここ最近の物価高は凄まじく、悠長なことを言っていられなくなった。
というわけで・・・働くことは苦手だが、転職活動することにした。
クリニックの診断も出たことから、自分だけで行動するのはあまりにも心細いので、精神障害者の就労支援に特化しているというサービスにお世話になることになった。
このブログでも転職活動のことをポツポツ書いていこうと思う。
応援していただけると嬉しいです。
あったかくなったらやりたいこと
今週のお題「あったかくなったら」
ブログにきてくださり、ありがとうございます!😊
寒がりの私にとって、今週のお題は毎日考えていることです…🐧🐧🐧
昨日今日と今日は曇り空で気温もなかなか上がりません( ¯-¯ )
あったかくなったら…と考えるとやりたいことはいろいろ浮かんできます。
まずやりたいのは、
ぶらぶらお散歩しながらお花の写真を撮りに行くこと!!
です。どうしても寒いと最短距離の道を選びがち。そのせいであまり歩いていません…🐷
運動嫌いの私にとって、散歩は貴重な身体を動かす機会なのです。
だから、早く暖かくなってほしいなぁ…
暖かくなればいろんなお花も咲き始めますよね〜写真キレイに撮りたいなぁ📸
その次は
ハンバーガー買って公園で食べること!!
もう食べることを考えてる( ̄▽ ̄;)
外で食べるって気持ちいいし、より美味しく感じられます。ちょっと遠足気分♪
それにハンバーガー🍔って元気が出るので、大好きです。
お気に入りはロッテリアの絶品チーズバーガー!飲み物はジンジャエールで🥤!!
あとは
部屋をちゃんと掃除すること!!
寒いといろいろ面倒くさくなって、片付けなくなり部屋が荒れ放題になるのです…(。•́︿•̀。)
その上掃除も最低限になります🧹ホコリも見て見ぬふり〜
なので、暖かくなったらちゃんと掃除したいです。例えば床の水拭き!
こう考えてますが、まだ1月中旬なんですよね〜
寒い日はまだまだ続きます(*_*)
今回はこの辺で!
私の経験話:メンタルの件でお医者さんになろうと決めた頃
このブログにアクセスしていただきありがとうございます!
今日は、私の経験話としてメンタルの件でお医者さんのお世話になったキッカケとついて書きます。
身体的な問題と同様に、心のケアも「早めの対処が肝心!」ですし、通うことで自分の特性を知って、生き方を見直すキッカケが得られるのも、メンタルクリニックに通う意味だと私は思っています。
【きっかけは転職・不慣れな仕事&人間関係】
私は20代前半からメンタルの件でお世話になるようになりました。今から20年くらい前のことです。当時、心療内科やメンタルクリニックの数は今ほど多くなく、そもそも元気がなくて病院に行くということも、まだ一般的なことではありませんでした。
ですが、「今行かないと、ヤバいことになる」と切羽詰まった思いがあり、勇気を振り絞って予約をしたことを覚えています。
病院探しはタウンページを使いました。(←ネットじゃない 時代だなぁ)
人生最初にお世話になったメンタルクリニックは自由が丘にありました。
(今調べたらまだやってた 先生、頑張りますね・・・)
病院に行こうと思ったのは、仕事上でのストレス(仕事内容・人間関係)で心がメタメタになっていることに気が付いたからです。営業職として新卒で入った会社を不本意にも1年で辞めて転職していたので、過去にたまった疲れも影響していたと思います。
趣味だったエレクトーンが楽しくない。職場の仲間と行ったランチ会で食事の味がしない。明らかに、いつもの私ではありませんでした。
初診の日、いつもうるさいくらいしゃべる私が先生を目の前にしてろくに事情を説明できなかったこと、泣いたことを覚えています。
先生は優しかったです。有難かった。
その日もらったレキソタンという抗不安薬にはそれから随分お世話になることになります。
【抗うつ剤でミスが激減】
当時の仕事は専門性の高い事務職で、私の気質には全く合わない細心さが求められる作業ばかりでした。当初はミスだらけだったのですが、お医者から処方された抗うつ剤を飲んだら、ミスが激減したことを覚えています。
ですが、ミスが減っても上司は私の作業にケチをつけてきました。今でいうパワハラですが、当時はそういう概念もなかったので、私も周りも仕方がないと諦めていました。(ただ一人の同僚が「こういうのがハラスメントっていうんじゃないのかな」と言っていました。)なので、状況は改善せず、病院通いは続きました。
【養育環境に問題があると指摘】
診療の中で、精神の不安定さは職場のストレスだけでなく、自分の物事の捉え方にややくせがあること、また親との関係および被養育経験に問題があることが分かってきました。
後々書くと思いますが、私の母は自分のパワーの使い方がよく分かっていない人で、家族はほぼ制御不能な母に影響されまくっています。(ちなみに、私は高校卒業を機に上京し、それ以降実家から離れています。)
仕事のストレスもかなり苦しかったのですが、事あるごとに干渉してくる母の存在はまさに脅威でした。
私の話を聞いて、先生が「なるほど、侵入的な母親なんだね」と言ってくれた時には、心からホッとしたことを覚えています。
病院に通い始めて2年後、私が引越ししたのを機に、先生が紹介してくださった病院に転院し、そこにまた3年ほど通いました。2人目の先生は私の話をたくさん聞いてくださった上に、眠りの問題に対応する薬を出してもらえたことで、劇的によくなりました。
そこから数年間、メンタルクリニックにお世話になっていませんでしたが、昨年から再び通い始めました。(この件はそのうち書きます)
まとめ
確かに、病院に通えば問題がすぐに解決するわけではありませんが、先生に話を聞いてもらえる、抗不安薬や睡眠導入剤を処方される、などの初期の対応で状況はかなり楽になると思います。
・趣味が楽しくない ・ご飯が美味しくない ・うまく眠れない
この3点に引っかかったら、ためらわずにLet's go メンタルクリニックです!
今回はこの辺で
必死だった2022年、友達作りたい2023年
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
ブログをチェックしていただき、ありがとうございます。
今日のお散歩写真
「高速道路わきの歩道橋から見えた空」
ブログを放置したまま年が明けてしまいました・・・反省
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
の記事を書くことからリスタートしていきたいと思います。
【2022年の振り返り:何とか乗り越えた1年】
身体:問題ありありだった
7月に新型コロナウイルスに感染し、ひどい頭痛と咳に見舞われて苦しい思いをしましたが、それだけじゃありませんでした。
街中で派手に転んで顔面を地面に打ち付けてしまい、顔に残る傷ができてしまいました。(目立たないけどショック・・・)
その後、ぎっくり腰をやってしまい、夜眠れないほどの激痛に悶絶・・・。
片頭痛に苦しむ日も例年より多かった気がします。
仕事:無事にやり遂げた
そんな中でも、頂いた仕事をこなすことができました。新規でお仕事頂ける口を見つけることができたことは本当によかったです。
研究の方も、目指していた論文投稿することができました。(結果はリジェクトだったけど、1月1日に修正原稿提出しました!)
メンタル治療:方向性が明らかに
カウンセラーの先生には年間を通じて、過去の経験や現在抱えている問題など、いろいろ話を聞いて頂きました。
過去の経験については、読んだ本の内容をきっかけに思い出したことを話すというスタイルを作れたことで、自分のことをだいぶ話しやすくなりました。このスタイルを受け入れていただいた先生には本当に感謝しています。
年末にはメンタルクリニックを紹介してもらい、投薬治療もスタートしたことも大きな一歩です。
担当医から自分が感じていた違和感や悩みは解離症状によるものだと診断を受けたことで、我慢せずに対処していこうという気持ちになりました。
交友面:家族以外と話をする機会が少なかった
もともと人と話す機会が少ない生活スタイルにコロナ渦が拍車をかけ続けています。友人と会って話したのは2回だけでした。それも感染を気にしながらだったので、気持ちが落ち着かなかったです。
感染は怖いが人と話がしたい・・・この気持ちを持ち続けた1年でした。
2022年を総括すれば、いろいろありながらも、必死に前進することができたように思います。特に、研究論文を出すという大きな目標はプレッシャーになりました。身体的&精神的に辛いことも多く、もうちょっとリラックスして生活できたらよかったとも思います。
【2023年にやりたいこと:自分なりの発信をしたい 自分を知りたい】
タイトルにも書きましたが、2023年は友達の輪を広げたいです。読んだ本や記事のこと、映画のこと、メンタルケアのこと、などなど・・・興味が重なる人と言葉を交わせる機会がほしいなと思っています。
また、今年はブログを継続して書いていきたいです。それは友人の輪を広げる目的のためでもありますし、メンタルのセルフケアのためでもあります。
私が抱えている解離性障害の特性の1つに「記憶があいまいになる」「自分像が描きにくい」というものがあります。これは簡単に乗り越えられるものではないのですが、ブログを書いておいて、後から読み返すことで、あぁそうだったなと思い出せるのではないかと期待しています。
うまくいくといいな。
では、今回はこの辺で。
ブログを読んでいただきありがとうございました。
皆さんにとって良い1年となりますように。
意地でも幸せに生きていく!
今週から毎朝の散歩&オラクルカード+瞑想を始めた。
なにがなんでも、自分なりに幸せに生きていく。
そのために必要なことはやるのだ。
今日のカード
カードは雄弁に語る。
午前中に論文の構成考えた。( v^-゜)♪
昼間、イレギュラーなオンラインレッスンを一本。
その後、今日2回目の散歩パート2
行きつけのカフェその2で栗あんパンを食べる。
↑カレーパンにも見える“おしゃれなあんパン”
栗のペーストとあんこが絶妙なハーモニー。
本当に美味しかった。
母ケイコに送った荷物、無事に届いたと連絡あり。
がんばれ、ケイコ。
がんばれ、ハルマサ。
今日から9月だ 母ケイコから電話
【2021/09/01の記録】
ずいぶん涼しい朝。
曇り空で湿度は高いが過ごしやすい。
午前中母ケイコから電話。
父ハルマサの脳梗塞は軽く、今日にも退院できそうだったのに、本人の身体が全く動かないため、退院できなくなったとのこと。
作業療法士さん曰く、昨日までは調子良く歩行できていたとのこと。
母またもやハイパーに不安定。
話をしているうちに、母ケイコが苦しんでいるのは自分の万能感なんじゃないかと思い、
「できることしかできないってことなんじゃないか。万能感を持つってことはヤバいのでは」と伝えた。
この言葉がどう伝わったのか知らないが、話をしたことで、少し落ち着いた様子。
聞けば、主治医さんもいてくれて、ケースワーカーさんも対応してくれてるとのこと。
母ケイコ、周りに人はいるぞ。
電話を切って、疲労(|||´Д`)
とりあえず外にでて、行きつけのカフェその1でコーヒータイム
今日のタロット